不審人物扱いの銀行

「横浜を舞台にしたリアルなゲーム」をやる会社を作るので、口座を作りたいのですけど。
そんな妄想話を、茶髪の青年が言っても、地元銀行のおじさんはわからないのです。
事業計画書とか、資金繰り表をもって来てくださいと言われて、ボクも意味が分からないでしょう。
逆に、ティッシュペーパーをくれるのだとナメていたら、どこの銀行も門前払い。
むしろ、この若者とは関わりたくない。そんな感じでした。
銀行だけじゃなくて、観光業界だとか、お店だとか自分の名前もブランドも、
業種業界が異なれば、全く通じない。
そこへユードーはあえて飛び込んでいったのですから、相当大変でした。

2003

たった会員100人の公式サイト「なびんちょ横浜」

横浜や鎌倉、お台場をリアルRPGにしたくて起業しました。
今で言う、位置ゲーに広告配信、マーケティング機能を搭載したものです。
世の中を変える大革命と信じていたのですが、毎月の売り上げは15,000円。
これではご飯が食べれません。
ユーザーにクリエイターと同レベルの情報を求めても、想像できないことは興味を持たれない。
さらに、集客の仕組み、ビジネスモデルやプロモーションを考えないと。
これ以降、企画を考えるのと同じぐらい、ビジネスモデルを考えるようになりました。
⇒【ITmedia Mobile】ユードー、横浜を舞台にしたEZweb向けゲーム「なびんちょヨコハマ」

2004

3万円の仕事を3万円でとる

ご飯を食べるために、しばらく請ける仕事をやることになったのですが、
実績のない会社は、何でもコンペです。
提案するだけでも、作業コストがかかるし、お前のところに仕事決めるから、
バックマージンよこせって言われたりしまして。
誰にも依存しないで、自社で事業をやって、自社で稼ぐ。この辺りから目指していきました。

2005

手形って何ですか?

当時、食玩ブームでした。
そこで、コンビニのお菓子コーナーにゲームをおいて、ネットへ誘導して会員を獲得する。
カバヤ食品さんやナムコさん(当時)で採用していただきました。
ボクは、大学生でしたから、習ったばかりの手形取引。
180日後にならないと現金化できないウン千万の紙切れをどうすれば良いのかなと思って、
頭抱えていたところ割るってことを知りました。
銀行はやっと、安心してくれました。
小さな会社で大きすぎる仕事が発生すると、運転資金が大変なのです。
ですから、翌月入金されるスマートフォンのマーケットって、最高なのですよ。
感謝しなくちゃ。
⇒【ファミ通.com】ゲームCDつき食玩"ゲーム伝説"絶賛発売中!

2005

資本金返せ事件

会社が成長すると、創業メンバーの仲間割れが起こります。
出資したお金を返せということになるのですが、返すどころか、
感謝の気持ちで勝手に増資したということで公文書偽造罪で訴えられそうになりました。
でも、これをきっかけに、会計士や弁護士の先生からアドバイスをいただいて、
後々、会社が大きくなって経営に影響受けないように、
きれいにして、資金を調達するって言うことを知りまして、結果的にこのトラブルは良かったです。

2005

青春18切符と戦国武将

戦国武将のカードバトルゲームを作る。これも早すぎました。
今は制作のリーダー。
当時、デザイナーとして、鹿児島のN山君に飛行機で横浜に来てもらって、面接。
出社時は、青春18切符で普通電車で上京してもらって、横浜駅の「焼き肉やさかい」で歓迎会。
実は、住む家もなかったので、会社に泊まる日々でした。
一方で、お金くださいっていうので、大金を払って外注さんに依頼をしたのに、
プロジェクトは頓挫して酷い目にあいました。
せっかく、N山くんも鹿児島から上京したのに。
でも、優秀な開発メンバーはこの時期あたりから、そろってくるのです。
⇒ユードー、対戦型のオンラインカードゲーム 「荒城の月」を発表。2006年末βテスト実施予定

2006

納豆をかき混ぜる、ワールドビジネスサテライト

ご飯を自炊する家族的な会社。 ヒットは恵まれなかったのですが、楽しい日々でした。
そして、ゲームショウ前にお受けした、テレビ東京のワールドビジネスサテライトの壮絶な取材は
全国のヒトから涙を誘い、出展したゲームショウのブースは大盛況でした。
でも、社員のご両親からは、「お前の会社大丈夫か?」って連絡がくるし 良いことだけじゃないのです。
けれども、日本人の心をつかむのは、慎ましさってことだと思いました。
それ以降、生意気なことは言わなくなりました。
⇒【ニコニコ動画】YUDO応援動画(9月20日WBS:東京ゲームショウ特集より)
⇒『東京ゲームショウ2007』出展作品決定のお知らせ

2007

キレられる。話になりません。

請けて仕事をする場合、あたり前ですけれども発注する側の要求に応えないといけないのですが、
ボクは、自分の考えていることが絶対に正しいと、思い込みが強いようで先方の社員の方が事前に社内調整をしていたのに、 自分の考え方をそのまま社長にプレゼンをしてしまいまして、
その方は、「ガン!」とドアを叩き付けて退出されました。
ボクは、人を怒らせることを容易に出来てしまうようです。
今になって、多少大人になって意味が分かってきたのですが、一緒に事業をやったり、請ける場合は、
相手ととことんまで話し合うか、納得いかない場合は最初からお断りするかって言うことにしています。
最近は、人を怒らせることが減りましたので、多少は大人になった気がします。

2007

お金がない

家庭用ゲームの開発費。
預金通帳を見ても、約束のウン千万円入金がない。
印刷ミス、老眼になったのか疑ったのですが、確かにないのですね。
そこで、自社でだそうってことで、支援をお願いしたら、よくわからない契約を交わしてしまいまして、
なんと、数千万円を返さないといけないことになりました。
一気に1億に届くぐらいの債務超過に陥り、必要なときには、銀行もVCも助けてくれなくて、(潤沢で必要がないときに、彼らが来るので)世の中は難しいなと思います。
でも、ものすごい快進撃で早期返済して、逆に貯金もできたのは、みんなの頑張りでございました。
このことから、契約を細かく確認して事後発注はしない、とか、丁寧に進めるようにしています。
幸いだったのは、ゲームクリエイターとして実績があったのか、
任天堂さんとすぐにパブリッシャーの契約が出来たことでした。
本当、皆さんに感謝します。
⇒カラダ・よろこぶ食事&エクササイズ健康検定

2007

日本初のFacebookアプリ。ぱんぱんミュージック

頑張って1ヶ月ぐらいで開発したのです。
コンセプトもアイデアも画期的でした。何しろ、作っていて楽しくて仕方がなかった。
沢山のユーザーが遊んでくれたのですが、日本じゃだめだと思いまして、
カルフォルニアのパロアルト、サンドヒルズのベンチャーキャピタルにプレゼン。
そうしたら、「アイデア最高だね。Facebookにリリースするといいよ。」
ってアドバイスをもらって、日本版を売却して、Facebookに専念をしよう!
要するに、Zynga創業と同じタイミングだったのです。
でも、日本では、Facebookなんて誰も知らなかったし、どうやって課金をするのかとか、
実感がなかったのです。
売却先の会社からも連絡が途絶えてww
でも、この時の経験から、どこよりも早くiPhoneを手にして、
スピード感を持って、全世界にアプリをリリースできるようになりました。
⇒【ITmediaニュース】好きな曲で「ビーマニ」のような音ゲー作成 「ぱんぱんミュージック」

2008

受託仕事でモメる。

請ける仕事って、発注側へ企画の提案をします。
けれども、毎回、方針が大きくズレて、その度に企画や提案を変えていきます、
作業が増えるけれども、なかなか発注にはいたらない。
ということで、ブチ切れて怒りました。
でも、結局こちらの主張を聞いていただきまして、
これ以降、コンペの仕事は一切請けない。
カッコわるい事業であれば断る。
担当者と相性が悪ければやらない。
発注金額で判断しない。
逆にこちらから発注する際は、調査費用や企画作成でも対価を支払う。
このポリシーが生まれました。

2009

タイトルを間違って配信「テガキモン」

流行っているしソーシャルゲームを作ろうぜ!って、
「ワクワクさん」にご登場いただいて、AppleStore銀座でイベントを開催することになりました。
でも、ネーミングを間違えて、配信した際のタイトルは「テガキモン」。
本当は、テガキモンスターだったのです。
⇒【ASCII.jp】ワクワクさんも描いた! iPhoneアプリ「テガキモンスター」

2011

斉藤さんグッズを持つ男の子に笑われた

遠く仙台市から、よく分からない人が突然ユードーに来ました。
男の子に、街中で笑われた。
その男の子は、「斉藤さん ぬいぐるみを持っていた。」
なので、ユードーに来ました。
全員、ぽかーん。
警察に行ってください、ご相談くださいってことに。
いまだに意味が分かっていませんけれども。
⇒【NAVER まとめ】日本中の斉藤さんと無料で喋れるアプリ「斉藤さん」について

2012

そして、創業10周年を迎える

2013

 

~10年間を振り返って~ 別れる人々

ユードーの開発手法は独特で、決定と開発スピードはトップクラスじゃないかと思っています。
プログラマのO君は横須賀線でMacbookに向かって開発をしていたぐらいですし、デザイナも、
大胆にかかれた仕様兼企画書をみて、アイデアを考えないといけないし。
ボクの役目も、プロデューサーもディレクターもプランナーも兼務でプロジェクトをまとめなくちゃいけないのです。
まともな仕様書はありません。
そんな状態で、1~2週間で作ってしまうのは、昔からのゲーム開発の手法は通じないし、
とはいえ、ボクたちのエンタメな部分は、IT系の人たちには理解されないところでもあります。
今の時代は、「リーンスタートアップ」と言ってそれが当たり前になりましたけれども、リーダークラスはこの環境で切磋琢磨していきました。
でも、ユードーのクセのある開発手法についていけなかったり、またもっと大きな会社を目指したり、
いろいろなことで、ユードーを離れていく人たちもいます。
同じ時間を共有した友達としては、悲しいことでもつらいことでもあります。

~10年間を振り返って~ まとめ

というわけで、2008年以降、大きなトラブルが減ったのは、
それまでの切磋琢磨した経験と学習があったのと、
スマートフォンのストアによって、投資額が1/10以下に減って
世界にリリースできるようになったおかげで、リスクが軽減したのですね。
あと、ぶっちゃけユードーの失敗をまとめると、2つあります▼
1.守りに入る。
悲しいことに、ユードーは、今ある成功モデルに参入しようとすると、ほぼ必ず失敗。
だれも予見していない新しいことを、短期開発すると、成功する確度が高い。
イノベーション型のスタジオであるわけです。
2.早すぎる。
庶民感覚をもって、世界を制してやるぜ、って爪を隠しながら野心的。
けれども、早すぎて誰も理解が出来ないというジレンマ。
⇒ユードーのサービス情報はこちらです!

うえへ